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4月7日

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言ってることと、やっていることが違うぞ、という声が聞こえてきそうですが、

私は、創作活動というのは、自分にポッカリ空いている穴を埋める行為だと思っています。

自分の心に空いている鍵穴のようなものがあって、その穴に合う鍵を「これでもない、あれでもない」と作り続ける作業だと。

その行為の途中で試作品がいくつか出来てゆくうち、たまたまその鍵の一つが偶然誰か他者の心の鍵穴に適合する場合があって、

その鍵を生みだしたことを喜ばれたりすることが(たまたま)あるのだと。

(逆に、心に鍵穴のない人、或いはあっても例えば優しい家族やペット、あるいは仕事などで穴を埋められるひとには創作物は不要なのかも、と)

 

私自身のその鍵の製造技術が未熟で、どうにも自分で作り出せない間は、一方で自分の試行錯誤の創作を続けつつ、

他方、過去の芸術家が作り出してくれた創造物をほじくり返して、より自分に合う鍵はないものかと探そうとします。

過去にも現在にも世の中には星の数ほどの優れた芸術家がおりますが、私の鍵穴に合う(近い)ものを数えたりしたならば、

せいぜい100くらいなんじゃないかと思うことがあります。

 

そのような訳で、いくら私が芸術を専攻しているとはいえ、自分の鍵穴に合わない創造物にはまったく興味がないのが本当のところで、

他者から勧められた、どんなに有名な作家の優れた創造物でも、自分の鍵穴に合わない場合は「素晴らしい」と感じることは稀です。

ただ、人生をそれなりに真摯に歩むと、自分の環境が少しずつ自分が好む世界へ近づいていて、結果的に周囲の人々も同じような鍵穴を

持った人が多くなっているのか、そうした人々から推薦されたものは、私の鍵穴にも合うことは多くなっています。

 

しかし、インターネットなどで突然生まれた関係は、そうしたプロセスを経ていないので、どうにもまったく鍵穴の違う人々の意見が入り乱れ、

まったく興味の持てない推薦が多いと感じます。(そりゃ、見ず知らずの他人なので仕方がないと思いますが)

ともあれ、以上の理由で、私は、自分の価値観を見ず知らずの他者に押し付けることは可能な限りしたくありませんし、

逆に他者から価値観を押し付けられることがあったとしても、「ああ、この人は自分の鍵穴に合うものは誰にでも合うと信じているんだな」と思うだけ

であることを一応表明しておきます。